ホワイトアルバム深掘り-当時のバックグラウンド

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ホワイトアルバム概要

ビートルズが68年にリリースした2枚組アルバム”The Beatles”は通称ホワイトアルバムと呼ばれている。

前作でサイケの名盤サージェントペパーズを打ち出した彼らは、音楽性を更に昇華させ次のステップへ進み、このアルバムを産み落とす。

ビートルズの全ディスコグラフィーを通して見ても一番、音楽性が幅広く、発売当初は「問題作」という声もあった。

制作当時のビートルズは既にメンバー間の関係性が悪化してきており、それ故4人でアイディアを出し合ってというよりはメンバーそれぞれが主体となり、曲が作られていった。

曲によってはほとんど1人のソロ作のような物があったり、リンゴが喧嘩してバンドから抜けてたから不参加とか、担当楽器も混ぜこぜであったりした。

音楽の天才4人故に成立した制作過程なのかもしれない。

一見、カオスにも感じられるこの状況がビートルズの場合、プラスに働き、カラフルなサウンドのアルバムが出来上がったのだろう。

そしてジャケットは真っ白。私はこのジャケットの意味を自分なりに想像したいと思い、様々な色の波長の異なる光が混ざり合って白い光という妄想をして楽しんでいる。

このバラエティ豊かな音楽の詰め合わせは私にとって宝箱のような存在だ。

インドでの超越瞑想キャンプ

68年3月頃からメンバーは以前から興味を持っていたインドに滞在していた。

そこではマハリシ・ヨーギー(画像の中心にいる人物)を通して瞑想などのインド文化に触れながら、作曲やデモ制作を行っていた。

その時の体験や作られたデモが最終的にホワイアルバムに落とし込まれている。

場所はリシケシュという都市。やる事はヨーギーに瞑想習うだけ。そして側にあるのはアコースティックギターだけ。よって作曲に多くの時間を注ぎ込めたそうだ。

だが、瞑想キャンプ開始から約2週間後、インドの食事や生活が合わないという理由でリンゴが先に帰国してしまう。

この時のデモがイーシャーデモと呼ばれるものであり、ビートルズマニアは大好きである。「アルバムとして形になる前、こんなアレンジだったのか!」なんてことがわかる。

2018年の最新リミックス版にはイーシャーデモが含まれているので是非聞いて欲しい。

この記事の最後にSpotifyのプレイリストがあるので是非!

引用;https://www.theguardian.com/music/2021/jun/03/the-beatles-in-india-with-their-long-hair-and-jokes-they-blew-our-minds

当時の世界情勢

一言で言えば激動の時代であった。

ヒッピームーブメントからチェコスロバキアでの民主化運動、ベトナム戦争、キング牧師による公民権運動、ケネディ大統領の暗殺など、歴史的出来事が幾つも起きていた。

この時代を生きていた彼らは何かしらの影響を受け、インスパイアされていたのは間違い無いだろう。

「革命を起こしたい」と歌ったジョンの曲”Revolution 1″などは顕著に影響が見て取れる。

またポール作のBlack Birdも当時の黒人差別に対する嘆きを曲にした物と言われている。

社会のどんよりした雰囲気に加えて、メンバーそれぞれも苦難の時期であった為、その空気感は自然とホワイアルバムにも現れている。

“Ob-La-Di Ob-La-​Da”で少しでも空気を明るくしたかったポールの気持ちも分かる。

メンバーのプライベート事情

引用;https://www.universal-music.co.jp/the-beatles/news/2018-09-24-release/

当時のメンバーにとって一番大きな出来事はブライアン・エプスタインの死だろう。メンバーにとって親の様な存在であったマネージャーである。

特にショックを受けたのはジョンであり、直後のインドでの瞑想キャンプはこの衝撃的な出来事からの逃避の意味もあった。

この大きな事件踏まえてのホワイトアルバムの制作。

当時のメンバー個人個人の状況を見ていこう。

ジョン

また、この当時、ジョンは前妻シンシアとインド瞑想キャンプに参加するが帰国後、離婚しオノ・ヨーコに惹かれることになる。

ホワイトアルバム制作時はジョンにとって信頼を寄せるパートナーが変わる人生の大きな転機であった。

勿論、様々な葛藤や悩みがあっただろう。

この状況を曲に落とし込んだのが”I’m So Tired”と言われている。大敗的なムードが漂うホワイアルバムには欠かせないエッセンスだろう。

また”The countinuing Story Of Bungalow Bill”ではヨーコがワンフレーズを歌うなど直接的にも影響している。

そしてここからジョンはヨーコとの音楽活動に重きを置く様になりビートルズから意識が離れていく。

ポール

よってこの頃のポールはビートルズの分裂を止めようと彼なりに必死に働きかけていたと言われている。

以前まではビートルズの主導権はジョンと半々、といった雰囲気であったがジョンの心がビートルズから離れかかっている今、自分が主導権を握るしか無いと考えていた。

ホワイアルバム制作時には積極的に曲を生み出しそれをバンドの曲として形にしていた。

しかし頑張りすぎたせいか、制作中にリンゴと対立してしまい、リンゴは「脱退する」と言い、制作期間中の2週間ほどビートルズを脱退した。

そしてリンゴが不在の中、自身がドラムを叩き、”Back In The U.S.S.R”などを作り上げた。

リンゴ

これらの事からリンゴにとっては少し不遇な時期だったかもしれない。

先に述べたように一度バンドに嫌気が刺し、距離を取った時期でもあり、制作過程の一部であったインド滞在もリンゴにとっては居心地の良いものでは無かった。

結果、アルバム内の曲の半分以上に携われていない。

またリンゴの曲”Good Night”が仲直りの印として最後のトラックにする事にした、なんて話もあるが難解曲”Revolution 9″の直後であり、それで良いのか感がある。

ジョージ

一方、ジョージにとってこの時期は遅咲きの才能が頭角を表し始めた時期と言えるだろう。

ビートルズ内でのジョージの活躍は次作アビーロード で更に評価される事であるが、ホワイトアルバムでも名曲を残している。

一番有名なのが”While My Guitar Gently Weeps”だろう。

またこの曲の制作には友人のエリッククラプトンがレコーディングに参加しているが、これにより険悪だったスタジオの雰囲気が和んだと言われている。

そしてインド瞑想キャンプの発案者もジョージである。リボルバーやサージェントペパーズのサイケ期からインドに強い興味を持っていたジョージ。

その原点は映画「ヘルプ!」の撮影時にインド楽器シタールに触れたことが最初だと言われている。

そしてジョージは念願のインドに向かうことになる。

ビートルズのこのインド滞在が無ければホワイトアルバムは全く違った物になっていたと思われる。

実はジョージのした仕事は大きい。

次回から

このカオスから生まれた美しいアルバムは私の人生の中で大きな存在感がある。

今回からのホワイトアルバム編を通して、ホワイトアルバムに対する自身の知見や考え、思いをここでまとめて整理したいと思った。

具体的には楽曲レビューを経てからホワイトアルバムチャレンジに臨みたい。

そしてこの連載が読者の皆さんがこのアルバムを見返すキッカケになれば嬉しい。

Spotifyのリンクを貼っておくので記事を読みながら、もしくは読後にでも聴いてみてください。

次回以降もお楽しみに!

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